性格の悪さが文学
現代文の授業に、小論文というものがある。
小論文ね〜うん 書いたね〜「私も小学生のときボランティア活動したのでゴミ削減に協力してます」みたいな。ちょっと違う
そんな思い出深い小論文。中学生の時分からたまに授業で書かされてきたのだが、一度、添削時、教師に言われたことがある。
「淀川さんの文章って、性格の悪さが出てますよね」
ヒョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
いやいやいやいや……
ヒョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
いや、振り返ってみると当時の自分はイキイキのイキリオタクのイキリンリンだった(むしろキリンだった)ため文章までイキッていたかもしれない。いやイキッてたね
しかし、それ教師が生徒に言う〜〜〜??
まあ〜当時のイキリンリン淀川はイキッてたので笑いのネタに済ませたから良かったんですが…
などとしみじみ教育現場の実態を思い出しながら、課題の小論文を書いていた。
以前、高校に入ってから書いた小論文は、「非常に文学的な文章です」という評価がなされた。
つまり…まとめると……
性格の悪さ=淀川の文章=文学的
性格の悪さ=文学
σ(^_^;)
文学とは、性格の悪さだったのだ
たしかに思い返してみりゃあれじゃん
評価されてる夏目漱石の「こころ」は親友を出し抜いて婚約する性格の悪い主人公の話(偏見)、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」も性格の悪い主人公が自分だけが地獄から逃れようとあがく話、ひいては竹取物語のかぐや姫だって大概だぞ
大体、性格が悪い
そうか 性格が悪い人の話を書くと、それはもう文学
すごい 早くみんなで文学者になろうな
オチがないので最後に今朝見たおじさんの話をしますが、キックボード乗ってました。
多分、キックボード、公道で乗っちゃダメだと思います。